2018年度 協豊会関西地区 分科会活動
 協豊会関西地区 商品紹介講演会を開催しました 
 12月20日(木)協豊会関西地区 商品紹介活動の一環として、神戸のバンドー化学㈱殿において講演会を開催致しました。
 講師には寺田昌弘様をお招きし、「トヨタの4WDとともに走ったダカールラリー、そして世界の道」をテーマにご講演頂きました。
 「寺田さんの肩書は?」と聞かれそうですが、とても一言では言い表せません。輝かしいご経歴の一つとして1998年ダカールラリーにナビゲーターとして出場しクラス優勝を果たされましたが、同じくドライバーとしても出場されたり、さらにフリーライターとして記事を執筆されたり、取材者としてダカールに同行されたりととにかく多様なご経歴をお持ちでいらっしゃいます。強いて言うなら、子供の頃からの夢を今もずっと追い続ける「永遠の冒険家」という肩書が

【永遠の冒険家・寺田さんによるご講演】
ピッタリなのではないでしょうか。ご講演では、その夢の実現のための挑戦の軌跡や冒険の物語、そして何より「クルマが好き!」という思いがビシビシ伝わってきました。 
   会場にはバンドー化学㈱殿社員の方を含む100名近い協豊会関係者が集まりましたが、さらにトヨタ自動車・製品企画部の「Mr.ランクル」小鑓CEにもご来賓として参加頂きました。寺田さんからはランクルの「乗り手の楽しみ」、小鑓CEからは「造り手の思い」をお聞きすることができ、たいへん有意義な講演会となりました。
<寺田さんご略歴>
 1968年 東京生まれ
 1981年 中学1年、入院中の病床でダカールラリーのテレビ中継を偶然観戦。広大な砂漠を疾走する4WD車、直後ズームアップされたドライバーの目を見た瞬間、「ダカールラリーに出る」と決意。
   
 1983年 中学3年、お年玉をはたいてオフロードバイクを購入。クローズドコースでひたすら練習。
 1990年 大学4年、バイクレースのオーストラリアン・サファリ大会に出場。
 1991年  一般企業に就職。
 1996年 退職後、モーリタニアでNPO医療支援活動に参加。サハラ砂漠の奥地で通信インフラを整備。
 1997年 ダカールラリー初参加。ドライバーとしてランクル70で挑戦。残念ながら途中リタイヤ。
 1998年 ダカールラリー再挑戦。ナビゲーターとしてクラス優勝。
 1999年 「プリウス五大陸制覇」の一環でロサンゼルス→ニューヨーク間11,940kmを走破。
 2001年 同じくプリウスでパリ→ダカール間7,268kmを走破。HV車世界初のサハラ砂漠縦断に成功。 
 2008年 片山右京氏のナビゲーターとしてダカールラリー復帰。テロの影響で開会2日前に中止。
 2009年 再度、片山右京氏のナビゲーターとしてランクルプラドで挑戦。
 2011年 TLC(Team Land Cruiser)のドライバーとしてダカールラリーに挑戦。
 <ご講演の概要>
 1.夢、挑戦、挫折そして挑戦  
  (1) 砂漠を走りたい!
  中学1年の夏、深刻な病魔に襲われ、大きな手術と入院生活を強いられる。落ち込んでいた時、何気なくつけたテレビにダカールラリーの模様が中継されていた。広大な砂漠と砂煙を巻き上げながら疾走するバイクや4WD。ズームアップされたドライバーの目が映し出された瞬間、強烈なインパクトとともに「砂漠を走りたい」という衝動に駆られる。この時から「ダカールラリーに出る」という夢を持つようになった。 
 
  (2)バイト年収120万円・参加費700万円
   1997年、初めてのダカールラリーにドライバーとして「ランドクルーザー70」で挑戦。バイトで貯めた120万円に加え銀行からの借金で700万円の参加費・経費を工面。もちろん専属のメカニックもアシスタントもいない状態。そんな思いまでして参加した初のダカールラリーだったが、残念ながらマリという国で途中リタイヤ。自分が描いていた夢を達成できるまでには自分が成長していなかったことを痛感した。
     
  (3)クラス優勝! 高校の教科書の題材に!
  ダカールラリーへの思いは断ち切れず、引き続きバイトでお金を貯め、翌年ナビゲーターとして再挑戦。前夜に渡されるルートを自分の仮説の中でロケハンし未来の予測を立て、本番ではその予測した未来と現実を刷り合わせてドライバーに伝える。そのような作業をミスなく繰り返し最終的に見事クラス優勝を果たす。「続けていればいいことがあるな」と実感した瞬間であった。この優勝の軌跡は数年後、高校の英語教科書に題材として取り上げられた。
     
  (4)世界52か国走破
     寺田さんはその後、COTYを創設した故・渡辺靖彰氏とTeam ACP代表の横田紀一郎氏が企画した1999年「ECO MISSION」:プリウスをシンボルカーに世界中のエココンシャスなヒト・コト・モノに触れる旅にも参画。プリウスを通じて持続可能な社会への取り組みを行うとともに、日本初の量産型ハイブリッド車の魅力を世界にアピール。また2008年、片山右京氏のナビゲーターとして再度ダカールラリーに挑戦。この年はテロの影響で開会2日前に中止を余儀なくされたが、翌年再び挑戦。さらに2011年、2012年にはTLCドライバーとしてもダカールラリーに参画したり、トヨタ自動車で展開している「5大陸走破プロジェクト」の一部プロデュース、4年に一度、全世界のトヨタディストリビューターの代表者が集まる「トヨタ世界大会」では豊田社長のご指名により、IMVイベントの総合プロデュースをするなど海外を走破した経験をトヨタ自動車のために活かすなどその冒険は続いており、寺田さんが訪れた国は現在52か国に至る。
 
 2.トヨタ車のすばらしさ 
  (1)最後はランクルとラクダ 
  1996年サハラ砂漠でのNPO医療支援活動の際、砂漠の奥地へ入っていくと、最後の交通手段はランクルとラクダのみ。ランクルが世界の過酷な環境の中、その走破性の高さで絶大なる信頼を受け、生活そのものを支えていた。 
 
  (2) “日本人”をイメージするランクル
  南米大陸ボリビアでは今もランクル80が観光客を乗せてウユニ塩湖の中を走る。ツアードライバーによると「昔はほかのメーカーの4WDもあったが、みな塩害で熔けてなくなり、ランクル80だけ生き残った」とのこと。オーストラリアでは70系はもちろん、プラドや200系など様々な型式のランクルが走り、東南アジアでは40系が今も活躍。現地ランクルユーザーに聞くと「ランクルから日本という国、日本人をイメージする」と言われる。質実剛健で丁寧そしてなにより信頼できる日本人に通じるところがあるとのこと。
  (3) 強くたくましく、環境にやさしいプリウス
   2001年、「ECO MISSION」の一環で「21世紀の幕開けとともに自動車史に新たな轍をつけよう」とプリウスによる世界初のサハラ砂漠縦断に挑戦。プリウスはどこまで強くたくましく走れるのか、日本発信の技術を日本人の手によって実証。砂漠ではスタックしたり、ジャンプしたりと、過酷な環境が続いたが、フランス・パリを出発したプリウスは見事ノートラブルでセネガルの首都ダカールに到着した。また同じく「ECO MISSION北アメリカ」では、環境問題の権威であるワールドウォッチ研究所のレスター・ブラウン博士に試乗してもらい、プリウスの性能やスタイリングを絶賛された。
 
<最後に>
  寺田さんは中学校や高校からもご講演の依頼があるそうですが、その際生徒さんたちに1枚の写真を見せ質問されます。広大な砂丘の中に4WD車が1台、周りは砂の山や崖に取り囲まれている状況で「さあ、君たちがドライバーだったら次にどうするか?」。「迂回する」「引き返す」「崖に突っ込む」等いろいろな答えが返ってくるそうですが、寺田さんいわく「重要なのはとにかく動き出すこと。止まったままでは何も始まらない」。あらためてご講演頂いた「永遠の冒険家・寺田さん」に御礼申し上げます。
最後になりましたが会場のご提供や準備運営に多大なご協力を頂いたバンドー化学㈱社員の皆様にあらためて御礼申し上げます。ありがとうございました。
 


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